FIREしたい夫

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少子高齢化がなぜ起こるか

今日は子供の日ということで、少子高齢化がなぜ起こるのか考えてみた。

 

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少子高齢化は手遅れ アル より転載

 

家族を持つことができる幸せとか、精神的支柱になるという考えは一旦置いておき、経済的視点を中心に考えてみた。


そもそもなぜ人は子供を作るのか

昔、結婚して子供を作るということは、生き物として子孫を残すという本能もあるかもしれないが、自分が働けなくなった後に備えてのことではなかったのかと考えている。

 

一般庶民の年金制度などというものは、近年になって整備されてきたもので一昔前は基本的に年を取って働けなくなった高齢者は、世話をしてくれる人がいなければ野垂れ死ぬしか無かった。

 

しかし子どもがいれば、高齢になってもある程度の世話をしてくれることが期待できる。

 

世話をしてくれる人がいれば、寿命も延びるし、自分が悲惨な最期を迎える可能背も減る。

 

もし自分に財産が有るときは、子どもがいなければ財産は他人や国に渡ってしまうかもしれないが、子供がいれば相続することができる。

 

そうなればある意味自分の生きた証をこの世に残すことができたと言える。

 

養育の手間はかかるかもしれないが、それなりの見返りが色々と期待できたというわけだ。

 

昔は寿命も短いので、子供が親の面倒を見なければいけない期間も現代よりもはるかに短かったに違いない。

 

短い期間であれば子供もこれまでの恩返しというわけでそこそこ甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのだろう。


現代社会では子供がいなくても生きていける

翻って現代はどうか。

 

子どもがいない独身でも、年金制度や介護制度が充実しており、身寄りがない老人でも生きていく制度が整っている。

 

むしろ整い過ぎているレベルである。

 

国に支払った年金の何倍もの金が、年金や介護サービスとして返ってくる。

 

それこそ国家財政がとんでもない赤字になるレベルでだ。

 

資産を持たない高齢者が国の金を存分に使い、老後の生活を謳歌している。

 

つまり、昔のように子供がいないから誰にも世話をしてもらえない、死ぬしかないという状況ではなくなったというわけだ。

 

むしろ例え子供がいたとしても、退職から死ぬまでの老後の期間が長すぎるため、子どもに愛想をつかされ、最終的には老人ホームに入れられるケースが多いので、子どもがいてもいなくても最後にたどり着く場所は同じだ。

 

子どもを作る最大の理由の一つである老後に面倒を見てもらう、は少なくとも年金介護制度が充実している現代では通じないのかもしれない。

 

残念なことだが、高齢者への優遇をすればするほど、国民は老後は国に任せればいいと安心し、子どもを作らなくなってしまうのだろうと考える。

 

また相続についても死ぬまでの期間が長すぎるがゆえに徐々に食いつぶしていくケースが多く、死ぬときには残っていないか、マイナスになってしまうので、残すものは何もない。

 

子どもを作ることのリスク

子どもを作る最大のメリットは老後に起こるあらゆることへの備えであるとして、デメリットはなんだろうか。

 

私はコストの問題が大きいと考える。

 

一人前に育てるまでに自分の人生の相当な割合の時間と資産を投じる必要があるということだ。

 

幼少期のコスト

自らのキャリアを捨てるかどうか考えなければならないレベルの時間を捧げる必要がある。

 

子どもが生まれたとき、国は寛大に様々な補助金もくれるし、初等教育までに支払うべき費用はほぼ無い。

 

しかし子供の世話に必要な時間は自分で捻出する必要がある。

 

これはとても難しい。

 

これまで専業主婦の配偶者がいることが当たり前だった日本では長時間労働があまりにも蔓延しすぎている。

 

専業主婦の配偶者がいる上司世代は夜中まで残業することを当たり前と思っているようだが、それは専業主婦、もしくはパートタイマーの家族がいるからできるのである。

 

本来配偶者ができたはずのキャリアアップを捨てて子育てをしていることを忘れてはいけない。

 

少なくとも私が今務めている会社はただでさえ自分の時間を確保することで精一杯の状況なので、配偶者のキャリア、大げさに言えば人生を捨ててもらわなければ子育てなどできないだろう。


青年期のコスト

言うまでもなく大学進学に必要なコストのことである。

 

幼少期は各種補助金でチヤホヤしてきた国であるが、大学進学以降はまともな補助制度はほぼ無い。

 

相当優秀な子供で、返還不要の奨学金でも貰えない限り相当な金額の資産を拠出することになる。

 

年々高額化する大学の学費だけではない。

 

住んでいる地域に子供が行きたい大学が無ければ、子どもを下宿させ、その生活費用を支援する必要がある。

 

大学院に進学したり、留年したりすればさらに支援期間は延長だ。

 

上記大学進学に関わる費用が、子供を作った約18年後に必要になる。

 

奨学金制度もあるが、金利が低いとはいえ借金なので、まだ高校卒業したての子供に背負わせたいとは私は考えない。

 

18年後に自分はその費用を捻出できるような状況にいるだろうか。

 

捻出できないことは無いだろうが、その後の老後の生活資金に支障はないだろうか、その判断は難しい。

 

リスク回避の観点から考えると、子供を作らず養育に必要な資金1000万円貯金したり、配偶者と共にキャリアアップした方が、人生は遥かに安定してしまうのだ。


上記のようなことを考え続けると、経済的観点から見れば、よほどのホワイト企業に勤め、お金と時間が余っていない限り、子供を作るという選択肢を取ることは難しい、ということが私の答えだ。

 

子育てというものは基本的には贅沢な行為なのだ。