正社員とは現代の奴隷 幹部職になりたくない
年功序列の苦しさ
正社員は給料や社会保障は充実しているが、労働環境は良いとは言えない。
私が現在勤めている会社は古くからある典型的な年功序列の風潮が強く残る会社である。
無能な社員でも給料は年々上がっていくが、それに見合った働きを求められる。
能力に関わらず昇格するが、能力が無くても周囲から求められる仕事のアウトプットの質はどんどん上がっていく。
日々受信するメールの件数は年を重ねるごとに伸びていき、自分のプライベートな時間はどんどん削られていく。
幹部職の苦しさ
更に年を重ねれば幹部職に自動的に昇格される。
幹部職になるとさらに仕事量は飛躍的に増え、周囲との折衝や、部下の管理等の業務がどんどん増えていく。
人員が十分にいて、部下に仕事を振ることができればまだ良いが、会社が人を雇ってくれなければ自らがマネージメント業務に加えて業務をこなさなければならず、こなさな
ければいけない仕事は増えていく一方だ。
私はまだ幹部職ではないが、土日祝日早朝深夜関わらずメールが飛び交っているのは日々見えており、幹部職が如何に仕事中毒の状態に陥れられているか理解している。
しかしどれだけ時間が奪われても残業代が出ないため、月々の給料は一般職に劣るという悲しさ。
あまりにも自由が無い奴隷的な働き方をしている幹部職を見て、私は幹部職になりたくないと日々強く思うようになった。
幹部職のその先に
毎日死ぬほど働かされる幹部職は、残業代が無い分月収では一般職に劣るものの、賞与を含めた年収ベースでは何とか一般職より多い報酬をもらえる場合がある。
幹部職になって昇格していけば、年収はさらにアップしていくだろう。
しかしその先に、幸せは待っているのだろうか。
毎日毎日会社に時間を捧げ続けて、仕事中毒ともいわれる日々を送り続ける社員たちだが、定年間近になる頃にはすっかり老け込んでいる。
私の会社の定年間近の社員たちは皆白髪で、ヨボヨボで、見た目は完全に老人である。
私の故郷にいる同年代の人々に比べて15年くらい年を取っているように見える。
人間は見た目老け込んでいるとその分早く死んでしまうという。
つまり私が所属する会社の社員たちは自分の時間だけでなく、自分の寿命も捧げて仕事をしているのだともいえる。
会社に捧げなければいけないもの
会社から転勤を命じられれば、家族と離れ離れになって暮らすことになり、自分の子供の成長を見ることができない。
仕事が忙しければ冠婚葬祭や、子供の入学式にも参加することはままならない。
他の企業でも多いだろうが、私の勤める会社は残業が当たり前だ。
夜の20時21時までの残業は当たり前、人によっては22時、23時まで残って仕事を続けている。
徹夜で仕事を強制されることも度々ある。
夕食はまともに食べることはできない。
コンビニで何か買ってくるか、もしくは深夜に帰宅後に何か食べるかだ。
仕事は事務職で、朝から晩まで事務所にこもってPCで作業をし続ける。
当然ながら健康に良くない。
私の周囲の中年たちはみんな腹が出ており、いかにも不健康だ。
仕事量が適切で、毎日せめて19時くらいに帰ることができるのであれば、健康に気を遣うこともできるのだろうが、この会社では皆できていない。
健康的な生活は人員が適切に配備されている会社でしかできないから、労働者は自らの健康も会社に捧げているともいえる。
健康管理は自己責任とよく言うが、健康をな身体を維持できる労働環境は会社は用意してくれないのだ。
会社に全てを捧げて得られるもの
定年退職時には退職金を含めかなりの貯蓄ができるだろう。
仕事を続けられる自信があれば、結婚して家族を持って、仕事の奴隷でありつつも幸せな家庭を築けるかも知れない。
それが人生の幸せだと感じる人も一般的には多いから、会社に尽くし続ける人生を送る人が多いのだろう。
会社に適合できて、奴隷のような労働も厭わず、多大な時間を捧げることも問題ないという人は、そのような人生を送るのもアリなのだろう。
ただし、そもそもこれができるのは、会社に適合することができた有能な社員の話である。
有能な社員が努力をして、上記のような犠牲を払い続けてようやく得られる報酬が幸せな家庭なのだ。
私にそれができるか
残念なら私は有能な社員ではない。
年を経るごとに増えていく仕事量と責任に既に耐えられなくなりつつある。
若手の頃は長期連休を楽しむことができたが、今となっては休みの間もメールや電話が飛び交っているため、日々油断をすることができない。
そして会社に人生の大半の時間を奪われ、自由がどんどん無くなっていくことに対しての拒絶感が日増しに強くなってきてしまっている。
自由を渇望してならない自分がそこにいた。
だから私は一刻も早くFIRして、自分の人生を取り戻したいのだ。